怖がる世界

亡くなってしまうかもしれない大切な人に、コロナの予防を理由に、お互いに会いたいのに会えないなんてことがあってたまるか。

無症状で咳もしていないような感染者と会って、適度に距離とって喋るだけなら、
それで飛沫感染することなんて、マスクをつけていなかったとしてもまずありません。どうやって飛沫が相手の粘膜にとびつくのだ?!

は〜って息を吹きかけたりして飛沫物がついた手で家具を触って、その家具を触った手でそのままご飯を食べたり目をこすったりと粘膜に触れる行動をとってはじめて、接触感染するリスクがでてくる。

だから、飲食と接客を伴う店や家庭内での感染が多いんです。

一般的なメディアの伝え方だと、空気感染、飛沫感染、接触感染などがかなり曖昧に、かつ恐怖感が出やすい説明になってしまっているため、結局どうして感染するかが分からないから余計に怖くなっちゃってません?

わたしはアラサーの頃(10年ほど前に3年ほど)、HIVの啓蒙の活動に精力的に参画していました。その時にHIVに関連して感染症について勉強する機会がありました。
HIVはとても分かりやすいですが「なんで感染するか」を知らない人ほど、やたらに陽性者を怖がったり、ディスったりするもんなんですよね。

やたらとコロナを怖がってる人には、なにが怖いのか教えて欲しいです。感染経路不明ってなに?接触感染とか飛沫感染ってなに?と、落ち着いて話してみたいです。

そこの理解がしっかりしていれば、普通に生活しているぶんには、コロナを殊更に怖がる必要はなくなると思うんですよね…。マスクをつけてない人を睨みつけたり、お出かけしてる人のことを信じられない!と罵ったりとかもしなくてよくなると思うんですよね…。

怖がったり、誰かを攻撃するのって疲れませんかー???

理解した上で、でもでも可能性として、感情として怖いもんは怖い!!のであれば、その怖さは、まあ仕方ないよね、と思います。わたしは、トイレを流す音が子どもの頃から、ずーっと、いまも怖い。

なんだか怖いのだ、という気持ちには共感します。

でも、わたしが怖いんだからあなたも怖がれ!!ってなるのは、なんかおかしいんじゃないかなーと思うんです。
個人の感情としての恐怖に、なぜ他人が行動を制限されなくてはならないのでしょうか。

現在、自宅サロン主であるわたしは妊娠中。コロナがなくとも、感染症には敏感な時期です。

わたしの夫は配送業でして、毎日たくさんの荷物と人に接します。4月には感染予防のために「別居した方がよいのではないか」と言われたこともありました。

でも、つわりで体調も悪いし。1人で暮らすなんていや〜、寂し〜。

彼が感染していたらどうしようもないですが、彼に付着しているかもしれない感染源を家の中にいれないことはできます。

仕事から帰ってきた夫さんには、まずは着ているものを全部脱いでもらい、洗濯カゴへ。洗えないものはウェットティッシュで拭き、その後シャワー浴びてから部屋で過ごしてにはいってもらっています。

ただ、ね。

もし、その辺に陽性者の人がいたとしても。
その人とキスしたり、その人と握手してその手を洗わずにご飯食べたり鼻ほじったりするような行動をとらなければ、まず感染しないんですよ。

ただ会ったくらいで感染していくというなら、満員電車がなくならない東京でこんなに感染者が少ないわけないと思うんですよね…。

感染症の予防は単純に、食べ物に触れる前や粘膜に触れる前に、自分が必ず手を洗えばいいだけです。

他人を攻撃したり萎縮させたりして行動変えさせなくても、自分の行動様式を変えるだけで感染予防になります。

その方が疲れないから、免疫力あがるとおもいますよ!他人を監視しなくてよくなるし、説教しなくてよくなるし。

それにね。
交通事故の方がよっぽど桁違いに亡くなってるでしょ?でも、車に乗るのやめよう!という社会的ムーブメントが起きたことはない。
リスクの取り方、メリットデメリットを冷静に処理しているからだと思うんですよね。

そんなにコロナは特別なのでしょうか?
なにがそんなに特別なのでしょうか???

車だってもらい事故いっぱいありますし…
何がちがうのー?!?!

と、とっても不思議です。

こんなことを不思議に感じてボディケアを仕事にしているなんてけしからん!!とプンスカする方は、どうぞ、記憶を消してお立ち去り願います。

こんな風に思うボディケアワーカーでもいっか、という方は、是非ケアを受けに来てください!