ただ生きる
勝つとか負けるとかじゃなくて、ただ生きる。虫とか鳥とか木とか草花を見ているといつもそれを感じます。
人間は頭が発達(?)した分、感じるものが多い。友達と喧嘩したり、男にふられたり、仕事で失敗したり、なんかうまくいかないといちいち落ち込んだりする。
美味しいもの食べたり、面白い映画見たり、風を心地よいと感じたり、なんとはなしに幸せを感じたりする。
オショーさんの言葉を借りると(詳しくは知らない。カードが好きでたまに使ってるだけ…)、世の中はすべて自分の頭と心が映し出された鏡だ、と。
過去の思い出や未来への欲望が混ざり、ただそこにあるものに脚色や演出が様々されていく。そこにあるものは一つなんだけど、それを写す鏡は無限の多様さがある。
虫や鳥や木や草花のように<いまここ>にだけ生きることを意識すると。森をみてきれいだなーと感じるように、自分の人生もきれいだなーと感じられたりする。
森にはたくさんの死があり、鮮やかな花があり、枯れた葉があり、新芽があり、卵があり、補食被食の戦いがある。それぞれがそれぞれの命を生きる上でうまれた結果が集まっている。
その集合としての森の素晴らしさ、逞しさ、輝きを、人の暮らしにも感じ続けられるはずなんだけどなー…。
わたしはすぐに囚われやすい。自分の過去に、未来への欲望に、他人の鏡に。
<いまここ>に集中すると、そういういろんなことがどうでもよくなる。反省しないとか、過去に執着しないとか、無関心になるとか、未来を諦めるとかってことじゃなくてね。
生きる上で、食べたり食べられたりする瞬間などに闘いがうまれることはままある。でもそれは勝ちたいとか負けてたまるかとか、それとはちょっと違う気がする。ただ生きるために動いているだけなんじゃないかな。
囚われないようにしよう!と意識するのは結局囚われてることになるし。
囚われないでいるなんてのは無理なんだけどさ。
目の前のことに集中する瞬間を重ね続けるしかないねー。それを忘れないように、森で過ごす時間を大事にしよう。
ってことで5/9(火)の午前、仕事前に木下沢へいってきました。
ガクウツギ
ヒメウツギ(?)
ミツバウツギ
アカハネムシ
オトシブミ
アワフキムシ
オウギカズラ
キランソウ
ツボスミレ
ホウノキ
マルバウツギ(?)
タチツボスミレ
ムラサキケマン
ラショウモンカズラ