初秋の高尾山と暴力と喜びと。

悲しい。
テントウムシ

キツネノカミソリ

キンミズヒキ

ハグロソウ

春にはニリンソウや様々なスミレも咲いていただろう

草地のあった川沿いに、橋の工事の残土らしきものが敷き詰められていました。

同じ川沿いでは、人の出入りを禁止して草地の回復をしている場所もあるというのに……
←看板には登山客が踏み荒らして花が消えたみたいに書いてあるんだけど、ほんとは役所のトンチンカンな仕事のやり方で間違って草が刈られてしまったんだよね(`Δ´)
「どこにでも、こんな草地はいくらでもある」
それは、間違いではないかもしれない。虫も花も草も、限られた区画にしかいないわけじゃない。
でも、
どこかの誰かが書いた「聞いたことあるようなフツーの曲」も、
どこかの誰かが書いた「見たことあるようなフツーの絵」も、
どこかの誰かがつくる「フツーのご飯」も、
どこかの誰かが暮らす「フツーの街」も、
どこかの誰かにとっては唯一無二の大切な表現・場所だったりする。
その草地は、そこに生きた虫や草や花たちにとっては全てだったりしたはずなんだよ。
他者のスペースを簡単に奪うことは、めぐりめぐって自分のスペースを乱暴に犯されることに繋がるもんだ。
暴力も喜びも循環する。
1ヶ月ぶりにゆっくりと高尾の森を歩いて美しさにつかった分、悲しさが募りました( ω-、)