「みんなちがってみんないい」
「みんなちがってみんないい」
障害があろうがなかろうが、障害にかかわらずいろんな違いがあって、みんなそれぞれ素晴らしい存在だ。
なんてーのは、まあ、キレイゴトです。
こないだの「やりがいなんてカネ次第」と一緒でさ。
自分に余裕がなかったら、他者との違いって寛容ではいられないと思う。
←寛容になることで余裕をつくるというのもある。
細々だけど、20代の時に知的障害児・者のサマーキャンプとかデイキャンプの引率ボランティアとかしていたので、わたしの中ではダウン症もアスペルガーもけっこう身近な存在です。
きゃっきゃウフフしているスクールカースト的なの高そうな女子と比べたら、天と地とほどの差で身近(^_^;)
とはいえ、すべての人にじっくり寄り添う気にはなりません。
障害は個性っていうけど、ほんとそうで。個性として「気にくわない」アスペルガーの人だってダウン症の人だっています。普通に人の好き嫌いと一緒。
基本的には「すべての人にその人が望むまっとーな生き方を求める権利(人権)がある」と考えていますが、それと好き嫌いはベツモノです。
寄り添って生きたいなんてことをすべての人に対して思うのは難しいです。距離感ほしいひといっぱいいます。
知的に限らず障害者には、障害ゆえの難しい性格というのも確かにある。←障害者本人だけではなく、その家族にもあったりする。
ただこれって、複雑な親子関係ゆえの……とか。民族の迫害という歴史ゆえの……とかと、なんか違いあるんでしょーか??
どっちも生まれ持ったものだったり自分ではもうどうしよーもないことだったりしませんかね。
こういうのがなにもない人は、まあ、まずいません。
面倒臭いなーと思うところは、多かれ少なかれ誰にでもある。
その面倒臭さ全部に付き合うことが是とされたら、わたしはそんな世界は嫌だっ。付き合う面倒臭さくらい選びたい。
でも、その背景に思いを寄せることは必要なんじゃないだろうか…と、思ってはいます。←その方がこっちの気が休まったりすることもあるしね。
そして、背景に思いを寄せ合った先に、
キレイゴトが世界の真実だったてな未来があったらいーのにな、とか思っている夢見るアラフォー乙女です(笑)
世界がこんなケーキ的に素敵で甘くて美味しかったらいーなーと思いません?!
ひとさまの背景に思いを寄せる余裕と労力を持つとか、自分が「いい」と思えなくても他の誰かが「いい」と思っているものをないがしろにしないとか。
それが(完璧でなくても)できる場所で働いたり、暮らしたりできるように、デザインしていきたいもんです。
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