フツ―への憧れ
わたしはものすごーく、他人の目を気にする。普通から外れたくない気持ちも大きい。
わたしは、ADHDです。
特性(わたしの場合は衝動性と頭の多動。過集中と飽きっぽさが極端にでやすい。枠通りのことをするのが苦手。空気読めない。知らないことは分からない。絶対的に他人とは違うもんだという壁?溝?がある)を自覚する(診断受ける)までは、とにかくフツーでいたかった。
「なんでそうなるの?普通じゃないよね」という台詞を否定として放たれることが、まーーー多くてですね。
フツーが正義?!な青春時代、外れたくないのに外れていることに恐怖が強かったです。
←普通でいたい!という気持ちが強かったから、「これがいわゆる普通じゃないんだよ」と世界が教えてくれてたんだよなーと、いまなら思える。
もろもろ自覚して受け入れて(あきらめて)からはだいぶ楽になったし周囲からの否定も減ったけど、それでもやっぱり「フツー」への憧れは強い(笑)。
隣の芝生は青いのを知っていてもなお、その青さの美しさにはひかれる。
いまは自分の芝生も青くて美しいと感じてはいるから、まあ、だいぶ生きやすくはなった。
そう感じられる環境(大きいのは人間関係ですな)があるのがありがたいなぁと、新月の影響か?!しみじみ思った次第です。
ただ。
気にするわりに、それに対処した動きをする気はわかないんですよねwww
まあ、だから、気にしなきゃ人としてまずいのかしら??という気持ちが強いのかもしれません。
いま思えば。
かなり変な格好してたりもしたしw変わった子だったんでしょうけど。学生時代。
(いまもか?自覚はないw)
反抗とかではまったくなく、フツーに好きなものを選んでるだけなのに、なんでこんなに面白がられねばならないんだろうとか。
面白くなろうと思ってないのに、なんで面白いねって言われなきゃならんのだろうと悶々としてましたねー
いま思えば、否定ではなかった場面もあったのでしょうね。
当時は否定としか受け止められなかった、というのも大きいと思います。
いまは「変」と言われるのは嫌いじゃないですwww
フツーへの憧れはいまだにある!!
とはいえ、《変》さを目指さなくても自然と変なのは、もはや特技なんだろうとは、いい感じにあきらめております。