境界線
友人と飲んでいて「無条件に愛される経験」なんて、子どものうちにするもの。大人になってそれを得ようとするのは試し行為だ……てな話しになった。
HIV予防啓蒙や路上生活者支援の活動をしている時に、よく考えた。「かわいそうな子ども」「支援すべき子ども」は、いつ「自分で責任をとる大人」となるんだろう??
愛される経験を、家族なり誰となり幼児~青年期に得られるのって、そんなに「ふつーのこと」なんだろうか。
わたし自身はかなり甘やかされて育っているけれど、それって幸せなこと(自分でそう思ってることを含めて)で、当たり前でもない。わたしはたまたま、そーなだけ。
家族との愛が絶対なんてことはまーーーーーったく、ないし。そもそもそういうのウザイ、とうタイプの人もいるし。
ただ、欲しくても与えられなかった(と、思っている)人に対して「大人なんだから自分で頑張れ」って、それだけ放つのは、とても横暴な気が、わたしはしてしまうんだよな。。。
なんてことを、路上生活者支援の活動にちょろりちょろりと参画していた頃によく考えてたなーと。
HIV予防啓蒙の荻上チキラジオ聞いていたら思い出した。