心のホメオスタシス?!
「〇〇な行動で、わたしは■■な気持になったよ」
これをそのまま受け取る人と、
「あなたが〇〇なせいでわたしは■■なんだ!どうしてくれるんだ!!」
と意訳?!して受け取る人。
どちらがお好みですか?
わたしは前者希望!!!です。
前者がいい人、後者がいい人。
前者のつもりで発言する人、後者のつもりで発言する人。
世の中にはいろんな人がいるけど、わたしは前者希望でして、そのまま受け取って欲しいことを口にするようにしています。
含蓄を含ませる&読むのは、ADHD脳にはものすごーーーく無理ゲーなんですもの(-_-;)
ただの癖。くせ。
みんなそれぞれに癖があって、意訳するべきとか、そのまま伝えるべきとか、〇〇がいいとか、〇〇としたい、とか。まあ色々あると思います。
色々になるもんですよね。みんな育った過程も日頃のコミュニケーションのテンポなども違うもんですもの。
みんな違ってみんないい。とは言うけどさ
みんなやり方はそれぞれなんですけど、伝えたい内容は伝わって欲しいというのは、まあ、あるじゃないですか。
本気で何も伝わる必要がないと思ってるなら、言葉を紡ぐ必要なくなると思ってて…。
とりあえずわたしは、どうせなら伝わって欲しい(あれ取って、なレベルも含み)から話します。
そして冒頭の前者のため、気持ちなどをストレートに言葉に紡ぎます。
みんな違ってみんないいんですけどね。でもさー!!!
意訳しないで欲しいと言っても、意訳するのがデフォルトなコミュニケーションを日頃されている方には、意訳しない、ということが理解されないことがあって。
ストレートに物を言っていること自体を理解してもらえない時には、違っていいとはいえなぁ、こりゃ困ったなーとなります。
幸せそうならなんでもいい
人はみたいように世界をみます。
世界は主観でしかみえません。
相手のとりたいようにしか取ってもらえません。そういうもんです。
なので、さっき困ったなーとは書きましたけど、違う形で受け取られても、
その形が受け取った相手を幸せにするものであれば、どうでもいいです。
困るのは、意訳した結果で怒りや悲しみが増していそうなとき。誰も幸せにならないので、みたいようにみるもんだと思いながらも、そうじゃないんだー!!と、訂正を試みはします。
都合がよい=幸せとは違う
訂正したところで、意訳で怒りや悲しみの自己中毒起こしている相手にとっては、意訳だけが相手にとっての真実で在り続けるんですよね。
なんでわざわざ苦しくなる意訳(現実)を選ぶんだろう??と不思議に思うことが長かったのですが、
そういう方にとっては、幸せ(楽)であるよりも、変化を起こさないことの方が優先順位が高いだけなんですよね。
恒常性、ホメオスタシス
苦しいままでも現状維持したい。
人の身体には健康であれ不健康であれ、慣れた状態に戻していく恒常性があります。身体にあるってことは、そりゃー感情にもあるわけですな。
これが感情のホメオスタシスか?!とよーやっと腑に落ちて、意訳で相手が自家中毒起こして辛そうなときに、なんとかしなきゃ…と感じることに、よーやっと諦めがついてきました。
諦めると楽になる
この、なんとかしなきゃ…には、傷付けたくない=傷付きたくない。そんな防衛もだいぶ入ってますよねー°・(ノД`)・°・。
傷付けることへの諦め、傷付くことへの諦め。
何に諦めればいいのか?ということがはっきりしたら、ずいぶん楽になりました。
こんなふうに、あーでもこーでもないと、いくつになっても悶々している心フレッシュ?!な家主のボディケア、いかがでしょうか。